神田カレー店 今昔
神田神保町界隈は江戸時代から幕府のお膝下として発展してきましたが、明治以降(明治10年代)は現在の明治大学、日本大学、中央大学、専修大学の前身にあたる学校が相次いで創立され、それに伴い書店街が生まれ、商業地域としてさらに発展し、飲食を商う店も増えてきました。大正12年の関東大震災でこの地は相当の被害を受けたものの、復興も早く大正13年には共栄堂がスマトラカレー専門店としてスタート。同年神田須田町には須田町食堂(現 株式会社聚楽)が創業しメニューにカレーを掲げる店が出てきました。
共栄堂 三代目代表取締役 宮川泰久さん
創業時は洋食屋としてスタートしましたが、カレーのメニューは最初から。初代が、友人からスマトラ島のカレーの作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジをしたのが当店のカレーです。昭和50年にはカレー専門店にして今日商売させていただいています。
自分が跡を継いだ30年前にはあまりカレー店はありませんでした。ボンディさん、まんてんさんくらいでしたかね。
先日テレビ局の取材があった時はこの界隈にカレー専門店が60店以上と言ってましたが、7年前は30店ぐらいでしたから、ここ数年で急に増えてきてますね。
スプーン1つで、本を見ながら食べられるということで、本の街のおひざもとの神保町で、ありがたく営業させていただいてます。新しいお店が出てくるのはいいことですが、同じ食が集中するのはいいことなのか?ラーメンとカレーに偏り過ぎて街自体が変化してしまうのが心配ですね。カレーグランプリなどの活動が、よい形の地域活性化になるとよいですね。
エチオピア 二代目代表取締役 鈴木堅司さん
当店は昭和63年4月にカレーとコーヒーの専門店としてスタートしました。店名の由来は当事扱っていた「エチオピアコーヒー
にちなみます。以来古書店の町ならではのお客様にご愛顧いただきながら今日まで商いさせていただいております。当店がスタートしたころは共栄堂さんはじめボンディさんなどカレー専門店がすでにありましたし、今日では日本一のカレー激戦区となっています。創業当初から、香辛料や素材の選定、作り方、カレーの味には決して妥協しないでやってきました。これからも神田地域の活性化はもとより全国に向けて広くエチオピアのカレー、神田のカレーを発信していきたいですね。
神田カレー店の老舗
共栄堂 1923年(大正13)
ボンディ 1973年(昭和48)
まんてん 1981年(昭和56)
ガヴィアル 1982年(昭和57)
エチオピア 1988年(昭和63)
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